数十年のお付き合いになる、ある会社の70歳になる会長のこと。
最近紹介した知人から「あの人格、すごいな」と尊敬の言葉を聞いた。少し前に紹介した知人は「品格がある人だな」とリスペクトしていた。
しかし、数十年来の共通の知人である別の会社の社長は、かつても今も彼を「狂っている」という。若くして出会ったころの私には、そう言われればそう思えたかもしれないけれど、今の印象は、最近の知人たちの「人格すごい」「品格がある」のほうに賛同する。
その会長は学び学ばせ、他方の社長は、学ばせたのだと思う。
会長は、お若いころには田中角栄にまで師事したのだとか。確かに、当時の一部の知り合いにとっては、それは異様に見えたかもしれない。だが彼は、その後も、ものすごくお金を使い、人脈を使い、僭越だけれども、敬意を受ける格へ、なりたくて、変化し続けているとお見受けする。もちろん、商売のためでもあるし、それも功を奏している。
その会長は外を向き、食も文化も政治も、人に会っては、学んだおすそ分けを周りに振る舞う、そこから帰ってくる反応に学ぶ、アウトプットとインプットの往復する人生を選んだ。
他方で、彼を狂っていると称した社長は、中の管理に長け、中で敬われる人生を選んだ。彼にとっては、過去に受けた印象は永続で、当時のまま、自分のほうが一般的な評価は高いと考えているようだった。
人には、それぞれ役割があり、役割を全うするための選択肢は、その人が決める。評価基準もまちまちでよい。
ただ、人は変わる。良いほうへも、悪いほうへも。
資格より、人格を買う人は豊かになるかもしれない
世の中には、ありとあらゆる資格ビジネスがあり、私自身もかかわっている。もちろん、資格はあったほうが良い。
ひととし重ねたふたりの人生を、比較することはできないけれども、格だけでいえば、若いころの印象で、人を狂っていると称する偏見のまま変わらない人を、人格者とは呼ばないし、心豊かな人とは呼ばない。
数十年前のままならば、資質や立場で、確かに、一般の軍配は逆だっただろう。
えらくなると減り続けるから買うべし、品格、人格。
裸の王様の話を思い出した。
自分が裸の王様になりたくない!と、恥を減らしたくて、外へ外へ、お金も使って学び続ける謙虚な姿勢は、年とともに、品格と人格を増した。他方、格があると思い込んで人の上に立った人は、減り続けた格に、気づかないらしい。
買えるんだ、格って、、、と素直に感じた。
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